宇和島市遊子はこんなところ

Posted on 11月 6, 2011 by digitalcorner No Comments

[歴史]
藩政期
宇和島藩に属す。明越浦、矢之浦、小矢之浦、甘崎浦、番匠浦、塩屋浦、水荷浦、津之浦の8つの枝浦があった。後に高島が加わる。
1691年(元禄4年) – 沖合いの高島が新浦として開発された。
1782年(天明2年) – 高島の住民13軒が九島浦白浜に移り住んで高島は無人島となる。水の確保に難があったためとされる。
明治以降
1889年(明治22年)12月15日 – 町村制施行時に、遊子浦一村(浦)がそのまま遊子村となった。
1910年(明治43年) – 宇和島港-下灘の航路が寄航。明治44年まで運航された。
1912年(明治45年) – 宇和島運輸の汽船が就航。朝夕2便運航されていた。
1958年(昭和33年)4月1日 : 昭和の大合併に従い、下波村(したばむら)、蒋淵村(こもぶちむら)、戸島村(とじまむら)、日振島村(ひぶりじまむら)の4村と合併し、宇和海村を新設し、遊子村は自治体としては消滅。
1974年(昭和49年)4月1日 – 宇和海村が宇和島市へ編入される。

[産業]
漁業
もともと藩政期から続く、鰯漁を中心とした漁村であり、煮干等に加工され出荷していた。昭和初期まで地引網で、昭和10年代初頭に水荷浦に沖取り網が、昭和18年頃巾着網が導入され、経営規模が大型化していった。当村は集落による共同経営への移行が早くから進んだ村として知られ、昭和20年代半ばには13統の網元があり、これらは藩政期のものを受け継いでいる。昭和30年代に入り、鰯漁は一転して不漁となり、網元の倒産が相次ぎ、昭和36年に網は消滅した。宇和海村になってから後の昭和30年代後半になって当地に真珠、ハマチ類の養殖が相次いで導入され、今日の主力産業となっている。
農業
基本的に漁村であり、自給的に夏は甘藷芋、冬は麦の作付けが営まれていた。甘藷芋の導入により村人の生活も安定し、農家の割合も増えていった。後にウンシュウミカンと早取り馬鈴薯が主産物として麦、甘藷芋にとって替わった。水荷浦の段々畑は、山の頂上付近(高さ50~90m)まで石垣を積み、段々畑として開墾され、まさに「耕して天に至る」光景を見せ、馬鈴薯が作付けされており、今日では観光名所、生活文化資源の一つともなっている。(現在は、水ヶ浦とも表記される。)